映画『最後の決闘裁判』とは
- 原題:The Last Duel
- 監督:リドリー・スコット
- 脚本:ニコール・ホロフセナー、ベン・アフレック、マット・デイモン
- 原作:エリック・ジェイガー『決闘裁判 世界を変えた法廷スキャンダル』
- キャスト:マット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマー、ベン・アフレック
- 公開日:2021年9月10日、ヴェネチア国際映画祭にてプレミア上映
- 上映時間:2時間32分
- 製作国:アメリカ、イギリス
映画『最後の決闘裁判』は14世紀フランスで実際に起きた事件にもとづいた歴史ドラマ。若妻を乱暴された騎士が、妻の汚名をそそぐべく被疑者の男に決闘を挑む物語です。
監督を務めたのは『ブレードランナー』(1982年)、『テルマ&ルイーズ』(1991年)などで知られる伝説的巨匠・リドリー・スコット。
脚本は、アカデミー賞脚本賞に輝いた名作『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』(1997年)の脚本を手がけたベン・アフレックとマット・デイモンのコンビ。さらに女性の視点も取り入れるべくニコール・ホロフセナーが加わっています。
主人公の騎士役はデイモン。被疑者の郷士役は「スター・ウォーズ」新3部作のカイロ・レン役で知られるアダム・ドライバー。この2人が仕える君主役はアフレック。渦中の妻役はTVシリーズ『キリング・イヴ Killing Eve』(2018年〜)でエミー賞主演女優賞に輝いたジョディ・カマーです。
歴史スペクタクルにヒューマンドラマやミステリーの要素も詰まった見ごたえのある大作となっています。
映画『最後の決闘裁判』予告編
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映画『最後の決闘裁判』の原作
映画『最後の決闘裁判』の原作は2004年にアメリカで出版されたノンフィクションです。
10年かけてフランスのゆかりの地や図書館などを訪ねて書き上げられた力作ですが、読みやすい文体なので一気に文庫本1冊を読み通すことができます。
原著者のエリック・ジェイガーは1957年生まれの英文学者、ミシガン大学で博士号を取得しコロンビア大学やUCLAで教鞭をとっています。
映画『最後の決闘裁判』の登場人物・キャスト
映画の本格的な解説に入る前に登場人物とキャストを簡単に紹介しておきます。各項目は「役の名前:俳優の名前」の順番です。
ジャン・ド・カルージュ:マット・デイモン
ジャン・ド・カルージュは、フランス・ノルマンディー地方の旧家出身のナイト爵。乱暴された妻の訴えが聞き入れられなかったため、被疑者に命を賭けた決闘裁判を要求します。
ジャック・ル・グリ:アダム・ドライバー
ジャック・ル・グリはカルージュの妻を乱暴した疑いがかけられた郷士。カルージュの近隣に住んでおり元親友で同じ主君に仕えています。
アランソン伯ピエール:ベン・アフレック
ピエール伯爵はカルージュとル・グリが仕える主君で、フランス王の従兄弟にあたります。
カルージュとの関係は土地や地位をめぐる訴訟で最悪。一方、ル・グリは伯爵のお気に入りの家臣です。
マルグリット・ド・カルージュ:ジョディ・カマー
マルグリットはカルージュが前妻の死後迎えた年の離れた若い妻。彼女の父はフランス王に刃向かったことで裏切り者とみなされています。
映画では外国語も喋れる教養ある女性として描かれていますが、原作によればマルグリットは字を書けなかった可能性があるそうです。
カルージュと結婚して5年間子宝に恵まれなかったものの、ル・グリに乱暴された数日後に妊娠していることを告白。決闘裁判の直前に男の子を出産しました。
ニコル・ド・ブシャール:ハリエット・ウォルター
ニコル・ド・ブシャールはジャン・ド・カルージュの母。裏切り者の娘である嫁・マルグリットとの仲はあまり良くありません。
サー・ロベール・ド・ティブヴィル:ナサニエル・パーカー
サー・ロベール・ド・ティブヴィルはマルグリットの父です。
ノルマンディー地方の貴族でフランス王に2度反旗を翻しましたが、運良く処刑されませんでした。しかし彼の一族はこのことで裏切り者と見なされるようになります。
トマン・デュ・ボワ:サム・ヘイゼルタイン
トマン・デュ・ボワはマルグリットの従兄弟で、史実ではル・グリの共犯者に決闘を挑んでいます。
ベルナール・ド・ラ・トゥール:マイクル・マクルハットン
ベルナール・ド・ラ・トゥールはカルージュの妹の夫、つまり義理の弟です。
シャルル6世:アレックス・ローター
シャルル6世は決闘裁判時、17歳の若きフランス国王。イギリスとの戦いに忙しく、決闘を観戦するため期日を1カ月ほど遅らせました。
決闘の直前に生まれたばかりの子どもが亡くなったにもかかわらず、同じく10代の女王とともに臨席しています。
ジャン・クレスパン:マートン・チョカシュ
ジャン・クレスパンはジャン・ド・カルージュとジャック・ル・グリの共通の友人です。
映画『最後の決闘裁判』の時代背景
映画『最後の決闘裁判』の舞台は14世紀のフランス、クライマックスの決闘が行われた正確な日付は1386年12月29日です。
この頃、ヨーロッパは百年戦争(1337~1453年)がたけなわでした。百年戦争とはフランス王位の継承問題に、羊毛工業の盛んなフランドル地方の領有問題が加わって百数十年間にわたってイギリスとフランスの間で断続的に戦われた戦争です。
この戦争の影響でフランス北部は1430年頃まで頻繁にイギリス軍に侵略されました。負けずにフランスもイギリスに軍勢を送り込んでいます。
カルージュやル・グリはこのような戦乱の中心であるフランス北部ノルマンディー地方の郷士です。
史実1:ジャン・ド・カルージュの人物像
ジャン・ド・カルージュの家系はノルマンディー地方に古くから根付いている有名な家柄です。家名・カルージュのルージュは血の赤であるという伝説があるほど勇猛ぶりで有名でした。
カルージュの父は百年戦争で活躍した功績でナイト爵となり経済的にも社会的にも見返りの多いベレムの代官に任命されています。この映画の主人公であるジャン・ド・カルージュはそのような父のもと1330年代に生まれました。
若き日のカルージュは父と同じく主君のペルシュ伯爵に仕えてイギリスに遠征したりノルマンディー地方でイギリス軍との戦いに従事したりしています。
1370年代初頭に結婚して男の子を授かったカルージュは、息子の名付け親に後で決闘の相手となる近隣の郷士・ジャック・ル・グリを選びます。
史実2:ジャック・ル・グリの人物像
カルージュと違ってジャック・ル・グリは父の代でのし上がった成り上がり者で家柄はよくありませんが金持ちです。
カルージュと同じく1330年代に生まれており、年齢はほぼ同じである上、カルージュと同じペルシュ伯爵に仕えていました。史実のル・グリはとても体格の良い人物であったと伝えられています。
武道一筋のカルージュに対してル・グリは聖職者としての教育を受けた洗練された人物で、女性関係が派手な人物です。
とはいえ当時子どもの名付け親になるということは親戚と同じ付き合いをしているということ。カルージュとル・グリはこのように性格などの違いはあっても親友だったと言えます。
しかし、1370年代後半からいろいろな事件が起きたことで2人の仲は急速に悪化します。
史実3:カルージュとル・グリの関係が悪化した経緯
カルージュとル・グリの仲が険悪になった経緯には、新しく彼らの主君となったピエール伯爵が絡んでいます。
カルージュ、若きマルグリットを後妻に迎える
1377年、ペルシュ伯爵が跡継ぎを残さずに死去、彼の兄であるピエール・アロンソン伯爵がカルージュたちの新たな主君となりました。ル・グリはピエール伯爵に上手に取り入ってお気にいりの家臣となります。
一方、カルージュは主君が代わった一年後、妻子を突然の病で亡くします。悲しみを振り払うかのように、カルージュはジャン・ド・ヴィエンヌ提督の遠征に参加しました。
1380年に遠征から戻ったカルージュは若くて美しいマルグリット・ド・ティブヴィルを妻に迎えます。
彼女の父・サー・ロベール・ド・ティブヴィルはノルマンディーの名家ですが、フランス王に2回刃向かったことで裏切り者として悪名をはせていました。
カルージュ、ピエール伯爵との関係が悪化
領地を広げたいカルージュは義父となったサー・ロベール・ド・ティブヴィルがピエール伯爵に売却した土地を取り戻そうと裁判を起こします。この土地はピエール伯爵が数年前に買い取った後、ル・グリに与えていたのです。
カルージュの無理な要求をピエール伯爵は従兄弟であるフランス王の勅許を得て却下しました。
1382年、カルージュの父が死去します。カルージュは父の代官のポストをもらえると思っていましたが、ピエール伯爵は別の人物にこのポストを与えます。
この措置に納得できないカルージュは再びピエール伯爵を相手に訴訟を起こしますが、また敗れました。
カルージュはこれに加えてもう1回土地絡みの無理な訴訟をピエール伯爵に対して起こして敗れており、ピエール伯爵から完全に嫌われています。
カルージュ、新妻マルグリットをル・グリに紹介
しかし、カルージュはピエール伯爵から嫌われるようになった裏にはル・グリが絡んでいるに違いないと思い込み、ル・グリを恨むようになりました。
カルージュはル・グリへの嫌悪感を公言してはばからず、2人の関係は断絶します。
1384年、カルージュは知り合いのパーティでル・グリに思いがけなく出会いました。
もともと親友だった2人はこの席で仲直り。カルージュは妻のマルグリットを初めてル・グリに紹介して、親愛の情を示すため彼にキスするよう促します。
マルグリットは当時の慣習に従ってル・グリの唇にキスをしました。
史実4:マルグリットがル・グリに乱暴された経緯
カルージュ、ル・グリより先にナイト爵に昇格
1385年、カルージュは戦利品で儲けるためにジャン・ド・ヴィエンヌのスコットランド遠征軍に参加します。この遠征は失敗し、カルージュは半病人になって1385年末にフランスに帰ってきました。
カルージュにとって唯一の慰めは、この遠征で50歳代になってようやく念願のナイト爵に叙せられたことです。
しかし、遠征で無一文になったカルージュはマルグリットを母の城に預けてパリに金策に出かけます。その途中でカルージュはピエール伯爵の城に立ち寄り、遠征からの帰還とナイト爵に叙せられたことを報告します。
ピエール伯爵の城でカルージュはル・グリにも会ったことでしょう。ナイトになったカルージュはル・グリよりも位が上になったことを自慢したかもしれません。
マルグリット凌辱
カルージュとル・グリの間にどのようなやり取りがあったかわかりませんが、その後ル・グリは手下のアダム・ルベルという重騎兵にマルグリットの動向を見張らせます。
1386年1月18日午前中、マルグリットは城にひとりで留守を守っていました。カルージュの母はその朝使用人のほとんどを伴って近くの街に用事で出かけたのです。
そこにル・グリがルベルと2人で訪問してきます。ル・グリは城のなかに入るとすぐにマルグリットに求愛を始めます。
彼女がル・グリの申し出を断ると、ル・グリはルベルと2人がかりで彼女をベッドに押さえ込んで思いを遂げました。ル・グリはこのことを誰かに話したら彼女を殺すと言って去っていきます。
考察:マルグリットはなぜ声をあげたのか
数日後、パリから戻ってきたカルージュにマルグリットは乱暴されたことを告白します。早速、親戚が集められて会議が開かれました。その席でマルグリットは妊娠していることも打ち明けます。
当時の医学では、男女の間に合意がなければ妊娠しない、と考えられていました。
マルグリットはル・グリに襲われたことを明らかにすることで、生まれてくる子どもはカルージュの子どもであるとはっきりさせたかったのかもしれません。
だとすると、彼女の勇気ある告白は自分のためだけでなく、生まれてくる子どものことも考えての行動と言えます。
史実5:決闘裁判への道のり
親戚会議の結果、カルージュはル・グリに法の裁きを受けさせることにします。
ピエール伯爵、カルージュとマルグリットの訴えを一蹴
最初に審理するのは直属の主君であるピエール伯爵です。これまでピエール伯爵との関係は最悪になっているため、カルージュとマルグリットは公平な裁きは受けられないと出廷さえ拒否しました。
予期したとおり、ピエール伯爵はル・グリに無罪を言い渡し、「マルグリットは夢でも見たに違いない」と彼女の訴えを一蹴します。
この知らせを受けたカルージュは直ちにパリに赴き、ピエール伯爵の主君であるフランス王シャルル6世に貴族の権利である決闘裁判を申請します。
決闘裁判とは
決闘裁判はヨーロッパに古くから伝わる慣習で、裁判の判決を当事者間の命を賭けた決闘にゆだねるものです。真実を知っているのは神様だけ、公平な決闘を行えば神様が正しい者を勝利に導くはずである、という考えが背景にあります。
さすがに14世紀になるとフランスで決闘裁判が認められることはほとんどなくなっていました。国王に決闘を許可してもらうためには、パリ高等法院の審理で認められねばなりません。
パリ高等法院の審理
この審理が1386年夏にパリで行われ、カルージュ夫妻とル・グリが法廷で証言しました。すでにマルグリットはお腹が目立つようになっていましたが、彼女は法廷で毅然とル・グリの悪行を告発します。
ル・グリが犯行に及んだ可能性が高かった(彼の弁護士でさえ彼がやったと考えていた!)ため、高等法院は2人に決闘で決着をつけるよう言い渡しました。
いよいよ決闘に:カルージュが敗けたらマルグリットは火あぶり!
決闘でカルージュが勝てばよいですが、敗ければマルグリットも偽証罪で火あぶりの刑に処せられます。
映画では自分のプライドのために妻子の命を危険にさらすカルージュのことをマルグリットが激しく非難していました。
マルグリットが決闘の日に身にまとった黒衣は死と喪の象徴ばかりでなく、死刑執行人や処刑される者の服でもあるのです。
結末をネタバレ:決闘の勝者は誰?
こうして1386年12月29日、国王夫妻臨席のもと何千人もの観客を集めてカルージュとル・グリの決闘が行われることになりました。
2人の男は甲冑に身をかため、長槍、まさかり、長剣、短剣を持って馬にまたがって現れます。身分の同じ者同士の公平な戦いにするため、ル・グリは決闘の直前に国王によってナイト爵に叙せられました。
カルージュ夫妻とル・グリが自らの証言が真実であることを宣言していよいよ決闘が始まります。
序盤の馬上槍試合で両者の馬が死んだあとは、地上で激しい肉弾戦が展開されます。
まずル・グリがカルージュの太ももに傷を負わせ、勝利をつかんだかに見えました。しかし、渾身の力を振り絞ったカルージュはル・グリを地面に組み伏せ逆転します。
カルージュはル・グリに罪を認めるよう迫りますが、ル・グリは断固として拒否。カルージュはル・グリの口から首に剣を突き刺して決闘に勝ちました。
史実6:カルージュとマルグリットのその後
決闘に勝ったカルージュとマルグリットは英雄として人びとに讃えられます。
マルグリットは高等法院の裁定の直後、決闘の行われる前の9月~10月の間に立派な男の子・ロベールを出産。その後3年間でさらに2人の子宝に恵まれました。
カルージュは国王の親衛隊・「名誉騎士」に選ばれ、多くの収入と高い社会的地位が約束されます。翌年カルージュはブシコー元帥(ジャン・ル・マングル2世)の次席としてハンガリーに派遣されており、彼の地位が大きく向上したことがわかります。
しかし2人の幸福は長続きしませんでした。
1396年、カルージュはかつて仕えたジャン・ド・ヴィエンヌ提督に付き従って十字軍に参加。同年9月ニコポリスの戦いで討ち死にします。
カルージュの陣没時、跡継ぎのロベールはまだ10歳、成人するにはまだしばらくかかり、マルグリットは守ってくれる人がいなくなってしまいました。
その後マルグリットは修道院に入った、という説がありますが、これは間違いらしく、自分の領地で世間から身を引いてひっそりと暮らしていたのが真相のようです。
史実7:本当に最後の決闘だったの?
カルージュとル・グリの決闘は本当にフランスで行われた最後の決闘だったのでしょうか?
たしかにこの決闘は国王とパリ高等法院が許可した最後の合法的な決闘になりました。
しかし、フランスではその後も各地で200年近くに渡って決闘が認められています。
ブリタニカによれば、16世紀になってようやくシャルル9世が決闘の参加者を死罪に処する勅令を出しますが、それでも決闘は行われていました。このため1626年にルイ8世が決闘を禁じる勅令を出しています。
近代に入って決闘は廃れたものの、1967年にガストン・ドフェールとルネ・リビエールという2人の政治家が侮辱の応酬からエペ(フェンシングの剣)を使った決闘に及んでおり、これが今のところフランス最後の決闘になります。
最終考察:ル・グリは本当にマグリットを乱暴したの?
この記事では映画『最後の決闘裁判』を原作と史実に照らし合わせて徹底的に解説しました。
最後にル・グリは本当にマグリットを乱暴したのか、という問題を考察したいと思います。
このことに関してはル・グリが真犯人であったとする人たちと、彼は無実であったとする人たちで意見が分かれています。
ル・グリの弁護士や原作者はル・グリ有罪説
事件に関する資料を冷静に検討した人たちの間では、ル・グリ犯人説が多く見られました。
まずパリ高等法院でル・グリの弁護を担当した法律家はル・グリの反応から彼が犯人であったと確信しています。
原作本の著者・エリック・ジェイガーもさまざまな資料を検討してル・グリが犯人である、という結論に至っています。
ル・グリの無罪を信じる人も多い
しかし、決闘裁判当時からル・グリの味方をする人も多く、ル・グリは無罪で別に犯行を告白した犯人がいる、という説も長らく信じられてきました。
特に政治思想的に貴族の決闘は野蛮であると考える人たちにル・グリ無罪説が多く見られます。
18世紀啓蒙思想の『百科全書』はル・グリ無罪説を取り上げており、ヴォルテールにいたってはこのような決闘裁判は「取り返しのつかない犯罪」である、とさえ述べています。
真相は藪の中
今回の映画は事件の被害者・マルグリット、それを告発した夫・カルージュ、被疑者・ル・グリ、それぞれの視点で事件の「真相」が語られる3部構成です。
誰が真実を話しているのかわからない、真相は藪の中というストーリー展開は黒澤明監督作『羅生門』(1950年)を思い出させます。
映画では、事件の犯人を断定せず女性の視点も加えたことで、より現代的にさまざまなアプローチを可能にして観客に考えさせる演出になっています。