キアヌ・リーブスの壮絶な人生を紹介!
キアヌ・リーブスは、ハリウッドを代表する俳優の一人です。『スピード』や「マトリックス」シリーズ、「ジョン・ウィック」シリーズなどのヒット作に出演し、世界中のファンから愛されています。
そんな彼の人生は、決して平坦なものではありませんでした。幼い頃に両親が離婚し、母親に育てられました。俳優として成功を収めたものの、恋人の事故死や妹の白血病発症など、数々の悲劇に見舞われました。
しかし、彼はそのような困難を乗り越え、今なお多くの人から愛される俳優であり続けています。その理由は、彼の持つ優しさと、困難を乗り越えようとする強い意志にあるのではないでしょうか。
キアヌのいい人ぶりを示すエピソード
ファンにサインをするためにアイスを買った
2019年5月、あるプロデューサーが、10代に映画館でアルバイトをしていたときの思い出をツィッターでシェアしています。
彼が映画館のチケット売り場で働いていた10代のある日、キアヌ・リーブスが映画のチケットを買いにきたそうです。
キアヌ・リーブスのサインが欲しかった彼は、従業員割引を申し出ました。従業員割引のチケットには、本人がサインしなくてはならないからです。
しかし、キアヌ・リーブスはその申し出を断り、正規の入場料を払いました。
チケット係ががっかりしていると、チケット売り場の後ろのドアをノックする音がしました。
てっきり上司だと思ってドアを開けると、そこにはキアヌ・リーブスの姿が!
「サインが欲しかったんだよね」と言ってキアヌ・リーブスは、売店でアイスを買ったレシートの裏にサインをしてくれたそうです。
その後、キアヌ・リーブスはアイスは食べずに映画を見に戻っていったとか。
キアヌ・リーブスは、ティーンエイジャーのファンにサインをするためだけに、食べもしないアイスを買ったのです!
特別扱いを拒否
また2019年3月、キアヌ・リーブスの乗ったロサンゼルス行の飛行機が、別の空港に緊急着陸しなくてはならなかったことがありました。
このときキアヌ・リーブスは、自分だけ特別扱いされることを頑なに断りました。そして普通の乗客と一緒にミニバスでロサンゼルスまでの移動を続けたそうです。
しかも緊急着陸で動揺する乗客を安心させるため、自分のスマホからカントリー・ミュージックを流したり、道中では沢山の人と一緒に写真に収まったりと、大サービスだったと言います。
そのほか、セットに向かう途中でファンにサインするために車から降りてきた、混雑した地下鉄で重い荷物を持っている女性に席を譲ったなど、キアヌ・リーブスのいい人ぶりを示すエピソードには事欠きません。
ですが、キアヌ・リーブスの人生は、晴れた日ばかりではなく、雨の日も風の日もある道のりだったのです。
それでは、不幸な過去を乗り越えてハリウッドスターとなったキアヌ・リーブスの壮絶な人生を、これからじっくりと振り返っていきましょう。
幼少期
キアヌ・リーブスは1964年、中東レバノンの首都ベイルートで生まれました。
母親のパトリシアはイギリス、エセックス出身の衣装デザイナーです。彼女は、仕事で滞在していたベイルートで、キアヌ・リーブスの父親となる地質学者サミュエル・ノーリン・リーブス・Jr.と出会いました。
キアヌ・リーブスの父親はハワイ出身のアメリカ人で、中国人やイギリス人、アイルランド人、ポルトガル人の血も入っています。
キアヌ・リーブスのエキゾチックな顔立ちは、父親の影響もあるかもしれません。
しかし、キアヌ・リーブスの父親は、キアヌが3歳のときに家族を捨てて、出て行ってしまいました。
キアヌ・リーブスは13歳のとき、ハワイのカウアイ島でこの父親に会ったのが最後だそうです。
両親が離婚した後、キアヌ・リーブスは、母親に連れられて、オーストラリアのシドニーやアメリカのニューヨークなどを転々とします。
キアヌ・リーブスが6歳になる1970年、彼の母親はニューヨークでポール・アーロンという男性と再婚しました。
この結婚は一年しかもたなかったのですが、キアヌ・リーブスの人生に重大な影響をもたらします。
ポール・アーロンはブロードウェイやハリウッドでディレクターをしていたのです。ポール・アーロンは離婚した後もキアヌ・リーブスと親しく付き合い、彼の相談にのってくれることになります。
キアヌ・リーブスに、アメリカで長い歴史を持つ劇団ヘッジローシアターの仕事を紹介してくれたのはポール・アーロンでした。
キアヌ・リーブスが知らない間に、彼の俳優への道が開かれていたのかもしれません。
このポール・アーロンとともにキアヌ・リーブスの一家は、カナダのトロントに移住しました。
キアヌ・リーブスは青春時代までトロントで暮らすことになります。そんな彼の子ども時代は、平和なものではありませんでした。
再び離婚したキアヌ・リーブスの母親は、こりずにロックの興行師やヘアドレッサーの男と離婚と結婚を繰り返します。
キアヌ・リーブスと妹は、両親ではなくナニーが面倒を見ることが多かったそうです。
このためキアヌ・リーブスは、大変妹思いの兄となり、後に彼が慈善事業に乗り出す理由のひとつにもなります。
一方、学校でキアヌ・リーブスは、やんちゃでじっとしていられない上に、読み書きに障害がある問題児でした。
それでも中学生のときにはアイスホッケーのゴールキーパーとして活躍し、オリンピック選手を目指そうとさえ思ったそうです。
しかし、15歳のとき、俳優になると決めたキアヌ・リーブスは、俳優として働きながら高校に通いますが、17歳で中退。
3年後、義理の父親のおかげでグリーンカードを手に入れたキアヌ・リーブスは、アメリカ・ロサンゼルスに移って本格的に俳優の道を歩み始めました。
俳優への道
1984年、20歳になるキアヌ・リーブスは、カナダ公共放送CBCの若者番組やドラマに出演しています。
その2年後、キアヌ・リーブスは、アイスホッケーのゴールキーパー役で映画デビューを果たしました。中学生のときアイスホッケーを熱心にやっていたことが役に立ったのです!
その後1980年代の終わりから1990年代のはじめにかけて、キアヌ・リーブスはティーンエイジャー向けのヒューマンドラマやコメディで活躍しました。
特に1989年のSFコメディ『ビルとテッドの大冒険』は、落ちこぼれ高校生コンビのタイムトラベルという奇想天外なプロットで大受け。1991年に続編が、2020年には29年ぶりの第3弾が製作されています。
一方、このころからすでにキアヌ・リーブスはイケメンでも評判でした。
1988年の映画『危険な関係』では、女優デビューしたばかりのユマ・サーマンの相手役で 美男美女カップルとして有名になっています。
『ハートブルー』がヒット
1991年、20代後半になったキアヌ・リーブスは、ヒューマンドラマでも演技力を発揮して注目を集めるようになります。
まず、当時最高の青春スターとして脚光を浴びていたリバー・フェニックスとダブル主演を務めたインディー映画『マイ・プライベート・アイダホ』です。
この映画でキアヌ・リーブスとリバー・フェニックスは、街角でやばい仕事をして暮らす男というきわどい役を演じて注目を集めました。
実はリバー・フェニックスがこの映画に出演することができたのは、キアヌ・リーブスのおかげだったのです。
監督は最初、キアヌ・リーブスとリバー・フェニックスのエージェントに台本を持っていきました。
キアヌ・リーブスのエージェントは乗り気だったのですが、リバー・フェニックスのエージェントは過激な内容に驚いて、台本を見せることを拒否。
しかし、リバー・フェニックスと共演でこの映画を実現したいと思ったキアヌ・リーブスは、クリスマスにカナダからフロリダまでバイクを飛ばして台本を届けます。
キアヌ・リーブスとリバー・フェニックスは、コメディ『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』で共演して以来の友人だったのです。
この映画でリバー・フェニックスは、ヴェネチア国際映画祭の主演男優賞を獲得しています。これはキアヌ・リーブスの尽力がなかったら、ありえなかったことです。
キアヌ・リーブスはこのように、重要な役を人に紹介することでも評判がよいのです。
同じ1991年、キアヌ・リーブスは、アクション映画『ハートブルー』でパトリック・スウェイジとW主演を務めます。
この映画でキアヌ・リーブスが演じたのは、サーファー強盗団に潜入捜査をするエリートFBI捜査官の役。キアヌ・リーブスは几帳面なエリートと強盗団の仲間の顔を見事に演じ分けて、評判になりました。
この映画が撮影されたとき、キアヌ・リーブスはサーフィンをしたことがなかったため、プロのサーファーから特訓を受けています。ここにも、仕事熱心で真面目なキアヌ・リーブスの性格がうかがわれますね!
『ハートブルー』はイケメン俳優のダブル主演でカルト的人気があり、他の映画でのオマージュばかりでなく、リメイクまで製作されました。
たとえば『ハートブルー』でキアヌ・リーブスの捜査官が、パトリック・スウェイジ演じる強盗に銃を向ける場面があります。
キアヌ・リーブスの捜査官は、覆面捜査とはいえ、親しくなった強盗を撃てません。強盗を逃がした彼は、空に向かって拳銃を撃ちました。
この場面が『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』に引用されています!
ニック・フロスト演じるさえない田舎のおまわりさんが、キアヌ・リーブスと同じポーズをしていて笑えます。
さて、1991年はキアヌ・リーブスにとって、『マイ・プライベート・アイダホ』や『ハートブルー』といったヒット作に恵まれた年だったばかりではありません。
この年、キアヌ・リーブスは1つの大きな試練に直面します。
妹が白血病に
1991年、キアヌの大事な妹キムが、白血病を患っていることが判明しました。
キアヌ・リーブスと妹のキムは、家庭が複雑であったため、小さいときから苦労をともにしてきました。
そのため2人の絆は普通の兄と妹以上に強固だったのです。
キアヌ・リーブスは、これからスターとして活躍する、大事な時期を迎えていました。
にもかかわらず彼は、妹の闘病生活を支えることを誓い、撮影スケジュールより彼女の生活を優先するようになります。
キアヌ・リーブスは妹の近くに引っ越すため家を処分し、炊事・洗濯と彼女の身の回りの面倒を見るようになったのです。
あるインタビューでキアヌ・リーブスは「彼女はいつも僕の側にいてくれた。だから僕もずっと彼女の側にいるのだ」と語っています。
『スピード』でスターの仲間入り
妹の闘病生活を支えながらも1990年代前半のキアヌ・リーブスは、『ドラキュラ』や『から騒ぎ』といった話題作でファンを喜ばせました。
そうして、いよいよ30歳の節目を迎えた1994年、キアヌ・リーブスは『スピード』でアクションスターとしての地位を確立します。
この映画でキアヌ・リーブスは、スピードを落とすと爆発する仕掛けのバスに閉じ込められた警官役を演じました。
『ハートブルー』での捜査官役を見た監督が、この役をキアヌ・リーブスにすることに決めたそうです。
しかし、今回はSWAT隊員という設定なため、「長髪ではまずい、髪を切ってくれ」と監督はキアヌ・リーブスに頼みました。
仕事熱心なキアヌ・リーブスは、この監督の無理な願いを黙って聞いたばかりではありません。
撮影当日現れたキアヌ・リーブスの頭は、丸坊主に剃られていました!
これではいくら何でも短すぎる、ということで、映画の短髪は少し伸びた状態だそうです。
さて、この映画でキアヌ・リーブスのサイドキックでもあり、最後良い仲にもなる女性役選びも難航しました。紆余曲折を経て、キアヌ・リーブスと相性の良さそうなサンドラ・ブロックに白羽の矢が立ちました。
公私ともに女性の扱いが良いことでもキアヌ・リーブスは有名ですが、サンドラ・ブロックも次のような彼のいい人ぶりを示すエピソードを紹介しています。
『スピード』のセットで、サンドラ・ブロックは、「シャンパンやトリュフチョコの味を知らない」 とキアヌ・リーブスに言ったそうです。
その数日後、サンドラ・ブロックの家にキアヌ・リーブスが、花束とシャンパン、トリュフチョコを持って現れたとか。
彼はサンドラ・ブロックの話に黙って耳を傾けていて、しばらくしてから考え抜かれた返事をすることが多かったそうです。
一方、『スピード』の撮影中にも、予期せぬ不運がキアヌ・リーブスを襲います。
『マイ・プライベート・アイダホ』で共演した親友リバー・フェニックスが急死したのです。ヘロインとコカインの過剰摂取による、若すぎる死でした。
さすがに仕事熱心なキアヌ・リーブスも、このときは精神的ショックから立ち直るためしばらく撮影を休みました。
ともあれ、完成した『スピード』は、バスを11台もポンコツにした甲斐があって大成功。キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックの体を張った演技も高く評価されました。
思わぬ成功に気が大きくなったスタジオ、20世紀フォックスは、早速続編『スピード2』の製作を計画します。
キアヌ・リーブスにも1,200万ドルのギャラで、出演の話が持ちかけられました。
ところが、SFアクション映画『チェーン・リアクション』に出演して疲れ果てていたキアヌ・リーブスはこの話を断ります。
怒り狂った20世紀フォックスは、その後10年ほど、キアヌ・リーブスの自社作品への出演を拒否します。
しかし、その後のキアヌ・リーブスの活躍と20世紀フォックスの衰退を見ると、どちらが正しかったかは明らかでしょう。続編は一作目を越えられない、とよく言いますが、『スピード2』は史上最悪の続編に名前があげられるほどの失敗作でした。
一方、『スピード2』への出演を断ったキアヌ・リーブスが選んだのは、オカルト・スリラー映画『ディアボロス/悪魔の扉』です。
この映画でキアヌ・リーブスはシャーリーズ・セロンとともに、超常現象に悩まされる美男美女の新婚カップルを演じました。
彼らの生活を地獄にする悪魔役をアル・パチーノが演じたのですが、このキャスティングにはキアヌ・リーブスが貢献しています。
アル・パチーノはこのキャラのありきたりな性格が気に入らなくて、膨大なギャラを要求してきました。
しかし、アル・パチーノとぜひ共演したかったキアヌ・リーブスは、自分のギャラを100万ドル割り引いて、アル・パチーノの要求を満たしました。
おかげで映画は大成功。この年のサターンホラー映画賞を受賞しています。
『マイ・プライベート・アイダホ』のときと同じく、作品をよいものにするためには、どんな努力も惜しまない、キアヌ・リーブスの姿勢がうかがえるエピソードです。
『マトリックス』で世界的な人気を得る
『ディアボロス/悪魔の扉』の翌年、1999年、キアヌ・リーブスは映画史に残るSFアクション『マトリックス』で主演を務めました。
キアヌ・リーブスが演じるのは、人工知能に支配された人類が、仮想世界のなかで飼育されていることに気づいてしまった天才ハッカー、ネオ。このネオが数少ない仲間とともに、圧倒的多数の人工知能に戦いを挑んでいく物語です。
『マトリックス』は、日本の武道・アニメ映画や香港のカンフーやワイヤーアクションの影響を受けた、アクションシーンの連続が斬新な作品でした。
キアヌ・リーブスの父方の祖母が中国系であったことから、彼自身が東洋の文化と親しんでいたことも良かったかもしれません。
また今でこそ人工知能と会話したり、仮想空間に入ったりすることは、身近なことになりました。しかし、この映画が製作された当時は完全に未来の話で、難解な映画だと感じた人も多かったです。
さらに、ウォシャウスキー監督は、台本の哲学的ニュアンスを理解するため、出演者にボードリヤールの哲学書や進化心理学の本を読むことを要求しました。
学校では落ちこぼれだったキアヌ・リーブスも、ばっちり予習して監督の期待に応えています。
ちなみに、キアヌ・リーブスが演じたネオ役の候補には、ウィル・スミスの名前もあがっていました。
しかし、「話がわけわからん、スローモーションのバレットタイムなんて効果ない」と思ったウィル・スミスは、『ワイルド・ワイルド・ウエスト』を選び、『マトリックス』出演を断ります。
結果は『マトリックス』がアカデミー賞4部門を受賞したのに対して、『ワイルド・ワイルド・ウエスト』はゴールデンラズベリー賞で最低作品賞を受賞。
その後、ウィル・スミスは「このころ自分は役者として未熟だったから、出演しても作品を駄目にしただけだろう」と負け惜しみを言っています。
『マトリックス』は2003年に第2作目と第3作目が立て続けに公開され、2021年には18年ぶりの新作も公開されました。
しかし、キアヌ・リーブスは私生活で1999年以降、苦難が続きます。
恋人の事故死
1999年のクリスマス・イブ、キアヌ・リーブスと長い間交際していたジェニファー・サイムが、妊娠8カ月で流産してしまいました。
この精神的ショックで2人は数週間後に関係を解消します。
それでもキアヌ・リーブスは、その後もジェニファー・サイムと親しく付き合っていました。
しかし、ジェニファー・サイムは2001年3月に彼女の祖父が亡くなってから、入院するほどの鬱に悩まされます。
そして2001年4月、薬物を摂取した上、シートベルトなしで車を運転していたジェニファー・サイムは、駐車中の車に突っ込んで即死してしまいます。
彼女と少し前に一緒に食事をしたばかりのキアヌ・リーブスは、彼女の突然の死に、激しいショックを受けます。
キアヌ・リーブスはそれから2018年にアーティストのアレクサンドラ・グラントと付き合い始めるまで、まったく女性の噂がありませんでした。
アレクサンドラ・グラントは2009年にキアヌ・リーブスと知り合い、2011年以降、キアヌ・リーブスと本を共同で製作しています。
アレクサンドラ・グラントは白髪のままでいる姿が素晴らしいです。彼女は20代前半に白髪が出始め、最初は染めていたそうですが、体に悪いので自然のままにしているそうです。
一方、妹キムと白血病との、いつ終わるとも知れない戦いも続いていました。
妹の闘病生活を支えることもあり、キアヌ・リーブスはマトリックス続編の撮影を一時中断させたほどです。
私生活での苦難とは裏腹に、キアヌ・リーブスは周囲の人たちをますます気遣うようになります。妹と同じように病気と闘う人たちのために、匿名で財団をいくつも設立していたのは、この頃のことです。
また『マトリックス』の撮影が終了したとき、バイク好きのキアヌ・リーブスは、スタントマンたちの労をねぎらって、彼らにハーレー・ダヴィッドソンをプレゼントしました。
さらに、キアヌ・リーブスは、特殊効果や衣装のスタッフがマトリックス続編でも働き続けられるよう、ギャラの一部をその資金に回しています。
この話は尾ひれが付いて、3,500万ドルから1億2,500万ドルもあげた、という話にまで膨れ上がりました。
2003年にこのことが報道されたとき、謙虚なキアヌ・リーブスは、「お金のことは考えない。何百年も生活できるだけ稼いでいるから」と言ったそうです。
「ジョン・ウィック」シリーズ
「マトリックス」シリーズ以後もキアヌ・リーブスは、『コンスタンティン』や『スキャナー・ダークリー』といった、SF、ファンタジー的なアクション映画に出演します。
2006年には韓国映画『イルマーレ』のリメイクで、サンドラ・ブロックとの再共演を果たしました。
2008年以降、キアヌ・リーブスはスリラーやSF、ラブコメなど様々な映画に出演していますが、どれもヒット作にはなりません。
そんなキアヌ・リーブスのキャリアを復活させたのが、アジアの武術を取り入れたアクション映画です。
まず2013年にキアヌ・リーブスは、自らメガホンを取って『ファイティング・タイガー』を完成させます。
『ファイティング・タイガー』は興行的には振るわなかったものの、カンヌ映画祭でも上映され、 香港アクション映画の巨匠、ジョン・ウーから絶賛されています。
そうして迎えた2014年、キアヌ・リーブスのアクションスターとしての完全復帰を決定的にした、『ジョン・ウィック』が公開されました!
この映画でキアヌ・リーブスが演じるのは、亡き妻の形見の子犬を殺されたことから、復讐のため裏社会に戦いを挑む孤独なヒットマンです。
監督のひとり、チャド・スタエルスキは『マトリックス』でキアヌ・リーブスのスタント吹き替えを務めた、アクションの第1人者。ジョン・ウィックというキャラクターの創作には、キアヌ・リーブスも積極的に意見を出して、彼にピッタリの役となりました。
キアヌ・リーブスとチャド・スタエルスキは千葉真一の大ファンで、『ジョン・ウィック』にも日本のアニメやアクションの影響が色濃く見られます。
キアヌ・リーブス本人が「人生を掛けた映画だ」と言ったほど思い入れの強かったこの作品は、キアヌ・リーブスの完全復活を強く印象づけました。
2023年まで4本製作された「ジョン・ウィック」シリーズの現場でも、キアヌ・リーブスのいい人ぶりを示すエピソードがあります。
第3作目『ジョン・ウィック:パラベラム』の終盤で、ジョンを狙う暗殺者ゼロの一味は、ジョンによって皆殺しにされる台本になっていました。
しかし、キアヌ・リーブスは、ゼロの手下を演じた2人のマーシャルアーチストの演技に感銘を受けます。
リハーサルで彼らに何度もノックアウトされて助け起こされたキアヌ・リーブス。彼はその場面を本番に取り入れたばかりでなく、ゼロの手下でも彼らを殺さないように話を変えたそうです。
まとめ
2014年の『ジョン・ウィック』のヒットで、アクションスターとして復活を遂げたキアヌ・リーブス。2023年には待望の第4作目が公開され、キアヌがカメオ出演するスピンオフの製作も進行中です。
一方、私生活の面では、新型コロナウィルスが流行する2020年夏に、キアヌ・リーブスはアイダホ州の小児がんチャリティでボランティアをしています。
キアヌ・リーブスの数々の良い行いの報いでしょうか、妹キムの白血病も寛解して良い状態を保っているそうです。
キアヌの人生は、決して平坦なものではありませんでした。しかし、彼はそのような困難を乗り越え、今なお多くの人から愛される俳優であり続けています。彼の人生は、困難を乗り越えようとする人々の希望となるのではないでしょうか。
多くの不幸を乗り越えて、人生で本当に大切なものを悟ったキアヌ・リーブス。
これからもワクワクする活躍を見せてくれることでしょう。
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