ヒース・レジャーの略歴
ヒース・レジャーはオーストラリア出身の俳優で、1979年4月4日に生まれ、2008年1月22日に急逝しました。
ヒース・レジャーは、2000年の映画『パトリオット』で知名度を上げ、ハリウッドでコメディやアクション映画に出演するようになりました。
2005年の『ブロークバック・マウンテン』でのゲイのカウボーイ役は、アカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、シリアスな役でのヒース・レジャーの演技力の高さを証明しています。
ヒース・レジャーは2008年のクリストファー・ノーラン監督のバットマン映画『ダークナイト』でジョーカー役を演じたことでも広く知られています。
この役で彼は驚異的な変身を遂げ、その独特な演技スタイルとキャラクターの奇妙な魅力を見事に表現しました。
ヒース・レジャーのジョーカーの演技は絶賛され、アカデミー賞を含む多くの賞を受賞しましたが、この作品が公開される前に彼は急逝してしまいました。
発見されたとき、裸でベッドの前に倒れていた
2008年1月22日、映画『ダークナイト』が編集段階に入った頃、ヒース・レジャーはマンハッタンのアパートで倒れているのが発見されました。
その日の午後3時頃、マッサージ師とハウスキーパーはベッドの前に裸のままうつ伏せに倒れているヒース・レジャーを見つけたのです。
この時点で、ヒース・レジャーの呼吸は既に停止していました。
彼らはヒース・レジャーの友人であるメアリー・ケイト・オルセンに助けを求めるために電話しました。
メアリー・ケイト・オルセンはかつて『フルハウス』というテレビドラマに子役として出演していた女優です。
彼女の妹であるエリザベス・オルセンは、マーベルのスカーレット・ウィッチ役で知られています。
メアリー・ケイト・オルセンはロサンゼルスにいましたが、すぐにニューヨークの警備会社に連絡しました。
その後、マッサージ師たちは救急車を呼び、ヒース・レジャーに心臓マッサージを行っています。
間もなく、救急車と警備会社がほぼ同時に到着しましたが、彼らもヒース・レジャーの停止した心臓を再び動かすことはできませんでした。
こうして、ヒース・レジャーは発見されてからわずか1時間も経たない午後3時36分に死亡が宣告されています。
29歳の誕生日まであとわずか3ヶ月という、短い生涯でした。
死因は複数の薬物による急性中毒
ヒース・レジャーの死因については、彼が見つかった時に周りに薬が散乱していたことから、自殺の噂も広まりました。
しかし、2008年2月6日にニューヨーク市当局は司法解剖などの結果をもとに、彼の死因は複数の薬物が組み合わさった急性中毒であることを発表しました。
報告によれば、ヒース・レジャーの体内からは鎮痛剤、睡眠薬、抗不安薬、抗ヒスタミン剤を含む6種類の異なる薬物が検出されました。
不眠症もあって多数の薬を服用していた
2017年に法医学の専門家であるジェイソン・ペイン=ジェームズは、「死の直前に服用した2種類の鎮痛剤がなかっただけでも、彼の生存の可能性に違いが生じていたかもしれない」と述べています。
この法医学の専門家は、薬物の組み合わせに加えて、ヒース・レジャーが当時肺感染症にかかっていたことが呼吸不全の原因になった可能性があると推測しています。
突然死の直前、2008年1月、ヒース・レジャーは映画『Dr.パルナサスの鏡』の撮影のためにロンドンにいました。
その2ヶ月前、2007年11月のインタビューで、ヒース・レジャーは映画の演技に没頭すると不眠症になり、1晩に2時間ほどしか眠れないと告白していました。
『Dr.パルナサスの鏡』の撮影現場では、ヒース・レジャーは共演者のクリストファー・プラマーに、眠れないために薬を服用していると打ち明けたと報じられています。
肺炎にもなっていた
さらに、ロンドンでの撮影は湿気の多い夜に行われ、ほとんどのスタッフが風邪を引きました。
これらの状況にもかかわらず、ヒース・レジャーは適切な治療を受けずに撮影を続け、クリストファー・プラマーはレジャーが肺炎を発症した可能性があると疑っています。
ヒース・レジャーの突然の死の後、『Dr.パルナサスの鏡』の製作は一時停止され、後にジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウが代役として参加して完成しました。