ウーファとは
ウーファは1917年に設立されたドイツの映画会社です。正式名称はUniversum Film AGで、頭文字のUFA(ウーファ)の略称で知られています。
設立と初期(1917~1933年)
ウーファは、第1次世界大戦のためのプロパガンダ映画や公共映画を製作する会社として、小さな映画会社を数社統合して設立されました。
政府の命令で設立されたものの、資金はドイツ銀行の元重役エミル・ゲオルク・フォン・シュタウスが代表したコンソーシアムが拠出しています。
第1次世界大戦後、1921年に民営化されました。
1923年に『カリガリ博士』(1919年)を製作したエーリッヒ・ポマーが製作主任に就任。サイレント時代にフリッツ・ラングの『ドクトル・マブゼ』(1922年)やF・W・ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1921年)といった表現主義を代表する作品の数々を世におくりました。
トーキー時代になってからは、『ガソリンボーイ三人組』(1930年)や『会議は踊る』(1931年)など「シネマオペレッタ」と呼ばれる音楽映画が相次いで製作され、映画の主題歌や挿入歌は世界中で大ヒットしています。
さらに『嘆きの天使』(1930年)や『制服の処女』(1931年)といったシリアスなドラマ映画も有名になりました。
しかし、フリッツ・ラングの名作SF映画『メトロポリス』(1926年)への過剰投資などで経営が悪化し、会社は1927年に実業家のアルフレート・フーゲンベルクによって買収されています。
ナチス時代(1933~1945年)
フーゲンベルクはドイツ国家人民党の党首でもあり、1933年にヒトラーが政権を取ると、ナチスと連立を組んで、ヒトラー内閣の経済相・農相に就任します。
このためウーファはナチスのプロパガンダ映画も製作するようになりました。
ナチスの台頭と前後して、フリッツ・ラングやエルンスト・ルビッチ、マレーネ・ディートリヒなどのユダヤ系や反ナチスの映画人がハリウッドに流出してしまいます。
一方、ナチス党は1937年にウーファの株の72%を取得して経営や人事にも介入するようになります。第2次世界大戦中の1942年に、ウーファは完全に国有化されました。
戦争中に映画は戦意高揚のため重要産業と見なされ、戦局が逼迫するなかでも『ほら男爵の冒険』や『コルベルク』といったAGFAカラーの名作が製作されています。
戦後(1945年~)
第2次世界大戦後はナチスとの関連が要因で、一時期活動停止を余儀なくされます。東ドイツにあったスタジオは「Deutsche Film AG(略称:DEFA)」として再出発し、東ドイツ最大の映画会社として数々の名作を残しましたが、1990年、東ドイツの終焉とともに倒産しました。
西側でウーファはメディア大手・ベルテルスマン・グループの傘下で1964年に再出発。1994年にベルテルスマンの子会社・RTLグループに吸収され、テレビ番組製作会社となって今日に至ります。
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