【映画用語】クイア映画(クイア・シネマ)とは

2022年7月17日日曜日

映画用語

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Anna Marie・ベルリン・リポート
クイア映画(クイア・シネマ)とは、クイアを題材とした映画です。 ※この記事は映画用語集の一項目です。

「クイア」とは

「クイア」という言葉は1980年代から90年代にかけて、LGBTのアイデンティティや経験、伝統的なセクシュアリティから逸脱する流動的な形態を総括する言葉として定着しました。

クイア映画は1930年代から存在した

しかしながら、クイアを題材とした映画は、それよりもはるかに前から存在します。ジャン・コクトー監督・脚本の『詩人の血』Le Sang d'un poète (1932年)はその最も初期の作品です。それ以来、クイアはアヴァンギャルドやアンダーグラウンド映画の題材として取り上げられてきました。

アメリカの大手の映画会社では、ニュー・ライン・シネマが創設当初よりクイアを取り上げた映画を積極的に製作配給しています。特に1972年に公開された『ピンク・フラミンゴ』はカルト的な人気を博しました。

さらに同社は1991年に立ち上げたFine Line Features部門(2005年にピクチャーハウスに吸収合併)で、『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)や『エドワードII』(1992年)といった作品を配給製作しています。

1990年代初頭に「クイア映画」の概念が形成される

そして1992年、『サイト&サウンド』でB・ルビー・リッチが、これら1990年代初頭のクイアを題材にした独立映画の動きを「ニュー・クイア・シネマ」と定義し、「クイア映画」という言葉も定着しました。

ちなみに『サイト&サウンド』は、ロンドン・レズビアン&ゲイ映画祭を開催するBFIの機関誌です。

2000年代以降、より広い観客層に受け入れられる

さらに2010年代になって、ニュー・クイア・シネマの影響は、より一般的な観客に受け入れられるようになってきました。

2000年代に『ブロークバック・マウンテン』(2005年)がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したことなどが、こういった傾向に大きく貢献しています。

2013年には『アデル、ブルーは熱い色』がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得しました。

日本では1992年に「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」が初めて開催され、2005年には「関西クイア映画祭」、2007年には「アジアンクイア映画祭」が加わって、クイア映画の紹介に努めています。

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