イーリング・スタジオの歴史
草創期
イーリング・スタジオの土地は、1902年からウィリアム・バーカー・スタジオが撮影所として使用しています。
この土地は1929年に映画会社ATPの創設者によって買い取られ、1931年にイーリング・スタジオの名称で活動が始まりました。
1938年に、ヒッチコックの初期作品やフラハティのドキュメンタリー映画『アラン』を製作したマイケル・バルコンが経営を引き継ぎます。
バルコンは、1940年代にかけてドキュメンタリーやドキュメンタリー的手法を採った映画の製作に力を入れ、独特のスタイルを確立しました。
このドキュメンタリー的手法による劇映画の作風は日本で「バルコン・タッチ」と呼ばれています。
イーリング・コメディ
1944年に、ランク・オーガニゼーションの傘下に入り、戦後の1947年からドキュメンタリー・タッチにもとづく、イギリス流ユーモア感覚に満ちた喜劇映画を連作するようになりました。これらの一群は「イーリング・コメディ」と呼ばれています。
ジャンルとしてのイーリング・コメディの第一作は1949年の『ピムリコへの旅券』とされ、代表作に『カインド・ハート(別題:優しい心と宝冠)』(1949年)、『ラベンダー・ヒル・モブ』『白衣の男(別題:白服の男)』(1951年)、『マダムと泥棒』(1955年)などがあります。
特に『マダムと泥棒』の監督アレクサンダー・マッケンドリックや主演アレック・ギネスはその代表的監督・俳優とされています。
ギネスは舞台や映画で多彩な役柄をこなし、一人8役を務めた喜劇映画もあることから“100の顔を持つ男”の異名をとりました。
1955年に、イーリング撮影所はBBCに売却され、その黄金期を終えました。
バルコン自身はMGMと契約し、1958年までイーリング・コメディを作り続けています。
イーリング・スタジオの現在
イーリング・スタジオでは現在も映画やテレビの撮影が行われているほか、映画の専門の学校も併設されています。
ITVのドラマ・シリーズ『ダウントン・アビー』の台所や使用人の部屋の撮影は、ステージ3Aと3Bで行われました。
イーリング・スタジオには、パフォーマンスキャプチャーに特化した制作スタジオThe Imaginariumもあります。The Imaginariumはアンディ・サーキスとジョナサン・カベンディッシュが創設した会社で、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』などの特撮を手がけています。
→映画用語集へ戻る