6人のプロデューサーが集まって結成
アルゴ・プロジェクトは、1989年に6人の映画プロデューサーが集まって立ち上げられた組織です。
立ち上げメンバーの名前と会社名は以下のとおりです。
- 多賀英典(キティ・フィルム)
- 岡田裕(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)
- 佐々木史朗(シネマハウト)
- 増田久雄(プルミエ・インターナショナル)
- 山田耕大(メリエス)
- 宮坂進(ディレクターズ・カンパニー)
組織の目的は、「大手映画会社の意向に左右されない」真の自分たちの作品を世に送り出すことでした。
このために製作、配給、興行を一貫して行うシステムとして、東京と大阪に専用上映館「シネマアルゴ新宿」と「シネマアルゴ梅田」を開館しています。
資金調達の方法
1990年に正式に法人化されるにあたり、資本金の半分はサントリーが出資しました。
作品の製作にあたっては、日本テレビが放映権、ビデオチャンプがビデオ化権を取得することで製作費の一部を出資し、残りの製作費をサントリーと各プロデューサーが折半して調達する形態が取られています。
作品
こうしてアルゴ・プロジェクトは1990年代初頭に、『ノーライフキング』、『櫻の園』、『12人の優しい日本人』、『死んでもいい』といったユニークな作品を次々に発表しました。
特に中原俊監督作『櫻の園』は1990年度キネマ旬報ベスト・ワンを受賞するなど高い評価を受け、話題になりました。
アルゴ・ピクチャーズに改名
しかしながら、アルゴ・プロジェクトはその後興行的に成功する作品に恵まれず、赤字が重なり専用上映館も閉館を余儀なくされます。
このため、1993年に一貫したシステムを放棄して、「企画の開発・製作」と「配給委託」を主な業務とする形態になりました。
このとき名称も「アルゴ・ピクチャーズ」に改められています。
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