【新型コロナウィルス】ルフトハンザドイツ航空、政府救済案を拒否 再建型倒産手続きも検討

2020年4月28日火曜日

ドイツ 観光 経済

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  • ルフトハンザは27日、政府の支援策を拒否する方針を示しました。
  • この記事では、連邦政府の提示した条件、ドイツの再建型倒産手続き、ルフトハンザと政府の結びつきの歴史を解説します。

ルフトハンザ エアバスA319


ルフトハンザドイツ航空は27日にドイツ政府から提示された支援策を拒否する方針であると、同社関係筋が「南ドイツ新聞」に明かしました。同紙電子版(28日)によりますと、ルフトハンザ航空はシュッツシルム手続きと呼ばれる再建型の倒産も検討しているとのことです。

ドイツ政府およびルフトハンザ航空はコメントを発表していません。

連邦政府、阻止少数議決権を含む厳しい条件を提示

ドイツ政府が約90億ユーロ(約1兆0.420億円)相当の支援の見返りにルフトハンザへ提示した条件は経営への介入も視野に入れた厳しい内容でした。最低25%の株式取得と2名の監査役指名という、阻止少数議決権(ブロッキング・マイノリティー)を可能にするものです。

ルフトハンザドイツ航空の監査役会は現在株主代表10名および従業員代表10名、合計20名で構成されています。連邦政府の2名の監査役と従業員代表が協調して、大量従業員解雇や子会社ジャーマンウィングスの解散に反対する可能性が生じます。

客室乗務員労組UFOは、国の支援が「公共の目的」を達成するため、政府が「積極的に関与」すべきと主張。連邦政府の経営への介入を求めていました。

ルフトハンザ、政府の経営介入を懸念 

これに対してルフトハンザドイツ航空のシュポア最高経営責任者(CEO)は週刊新聞「ツァイト」に対して、政府が会社経営に影響を与えることへの懸念を表明しました。

同氏は航空業界が常に政治的であることは否定しないものの、企業の将来がかかった問題である点を強調。「ミュンヘンやチューリッヒと大阪を結ぶ」といったことは政治によって決められる問題であってはならない、と語りました。 

さらにシュポアCEOは、ルフトハンザの業績がこれまで3年連続で会社史上最高記録をぬりかえてきたことを指摘。「ルフトハンザが将来も成功を収め続けられるためには、会社経営の運命を自ら決定できなければならない」と語っています。

 政府支援利子、9% 

ルフトハンザ航空が政府の提案に否定的な理由は、経営関与の可能性だけではありません。 

「南ドイツ新聞」によれば、政府は支援融資に対して9%の利子を要求したそうです。

 ルフトハンザ航空は利子だけで年間5億ユーロ(約579億円)の追加支出になると見込み、投資資金の減少も危惧したようです。 

ルフトハンザドイツ航空が検討するシュッツシルム手続きとは 

ルフトハンザ航空の経営筋が「南ドイツ新聞」に語ったところによりますと、同社は代替策としてドイツ破産法のシュッツシルム手続きを検討しています。 

保護手続きとも訳されるシュッツシルム手続きとは、日本の民事再生法や米連邦破産法11条に似た再建型の企業倒産処理です。 

この手続きにおいては、倒産管財人の代わりに「仮の監督人」が選任されます。旧経営陣は引き続き経営しながら、通常の倒産手続きと同じく負債の削減など企業再建が可能です。

最近では、トーマス・クックの経営破綻の影響で、同社の子会社コンドル航空がこの手続きを活用。ドイツ政府から3億8,000万ユーロ(約440億円)の保証を取り付けて運行を継続しています。

ちなみにコンドル航空は今週はじめに連邦政府とヘッセン州から5億5,000万ユーロ(約637億円)の追加支援を受けることが決まりました。

残された時間の少ないルフトハンザ

ルフトハンザドイツ航空がシュッツシルム手続きの適用を受けるかどうかは未知数です。

この手続きは流動資産が十分残っていることが前提ですが、ルフトハンザには時間が残されていません。

新型コロナウィルスの影響で、旅客数は通常の1%。1時間ごとに約100万ユーロ(約1億1,579万円)の損失と見られています。直近で44億ユーロ(約5095億円)の準備金にもかかわらず、今後数週間で流動資産が大幅に減少することは不可避です。

政治と密接に結びついた歴史を持つルフトハンザドイツ航空


ルフトハンザ ユンカースJu52

ルフトハンザは創設時から政治の影響を受けていました。

1926年にドイツ・アエロ・ロイドとユンカース航空が合併してルフトハンザが誕生したときも、政府の介入でした。負債に苦しむ両社への支援を一本化することが目的の1つであったといわれています。このときのドイツ政府の出資は26%です。

当時ユンカース航空から技術部長として経営陣に加わったエドゥアルト・ミルヒは、後にナチスの大物ヘルマン・ゲーリングに取り立てられて、ナチスに入党。ゲーリングの片腕としてドイツ空軍では創設時から重要な役割をはたしました。一方ルフトハンザでは監査役会会長および会長の地位にまでのぼりつめています。 

第2次世界大戦後、1951年にルフトハンザは解散。1953年に株式会社として復活、1954年にルフトハンザドイツ航空になりました。1963年までは100%国有会社、1994年までドイツ連邦共和国の公式フラッグキャリアをつとめています。

1997年に完全民営化されました。


参考:Corona-Krise: Lufthansa lehnt Staatshilfe-Bedingungen ab - und erwägt Schutzschirmverfahren

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