幻の1916年ベルリンオリンピック

2019年7月7日日曜日

ドイツ ベルリン 歴史

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1916年ベルリンオリンピックの競技場に予定されていたドイツスタジアム(1913年撮影)
ベルリンのオリンピックは1936年に開催されましたが、その20年前に第1次世界大戦のため幻に終わった1916年のベルリンオリンピックが予定されていました。

日本のマラソン選手、金栗四三氏も出場予定だった1916年ベルリンオリンピックの概要をまとめてみました。


アムステルダム、ブリュッセルを抑えてベルリンが選ばれた

1916年ベルリンオリンピックの正式名称は第6回オリンピック競技会で、1912年7月4日のIOC総会でベルリンに決定されました。その他の候補都市にはアレクサンドリア(イギリス保護下のエジプト)、アムステルダム(オランダ)、ブリュッセル(ベルギー)、ブダペスト(ハンガリー)、クリーブランド(アメリカ合衆国)が名乗りを上げていました。

ベルリンが選ばれた理由

IOC会長のクーベルタンは、英独の軍拡競争で緊張していた国際関係を、スポーツによる交流で緩和しようとベルリンでの開催を望んだと言われています。この希望は第1次世界大戦の勃発で打ち砕かれましたが、オリンピックは戦争の早期集結を祈って、すぐに中止の決定は下されませんでした。最終的には戦争の長期化で1916年のベルリンオリンピックは中止されました。

メインスタジアム

メインスタジアムとしては現在のベルリンオリンピック競技場のあるところにあった競馬場を増築して1913年に完成したドイツスタジアムが予定されていました。

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世即位25周年を記念して1913年6月8日に落成したこのスタジアムは、サッカー競技場、600メートル陸上トラック、666メートル自転車トラックを内部に持ち、北側には100メートル・プールを有していました。競技場は座席11,500席、立ち見席18,500席のほか、プールに3000席と、33,000人の収容力を誇るものでした。

予定されていた競技種目

予定されていた競技種目に関しては諸説あります。特にボクシング、馬術、ヨットが予定されていたという説には異論もあります。

冬季オリンピックの先駆

1916年のオリンピックで革新的だったことは2月にオリンピック冬季競技週間が予定されていたことです。競技種目としてフィギュアスケート、スピードスケート(複合競技)、アイスホッケーの他に、ドイツ西部シュヴァルツヴァルトで2種のクロスカントリースキー、ジャンプ、ノルディック複合といったノルディックスキー競技が予定されていました。この競技が実現したならば、冬季オリンピック大会の先駆となっていたことでしょう。

オリンピックの近代化

1916年ベルリンオリンピック開催を2年後に控え、第1次世界大戦勃発の緊張が高まる中、1914年6月13日と14日にパリで第17回IOC総会が開かれました。IOC創立20週年にあたるこの総会ではオリンピック近代化に向けて重要な決定が下されています。

国際競技団体の発言力強化

まず1916年以降の競技種目の選定に関して、国際競技団体の発言力が認められるようになりました。近代5種競技のような国際競技団体の存在しない種目に関しては、専門家委員会が組織されました。

女子の参加を認める

女子の参加も決定されました。もっとも女子の参加に関しては各国際競技団体がどの種目に参加させるか決定することになっていました。初めて女子体操も予定されていました。

廃止された種目

近代化の一環として、両手投げのやり投げや立ち幅跳びといった種目が廃止されました。

新たに導入された種目

水泳では横泳ぎが導入され遠泳が可能になりました。

自転車競技では5種目のトラック競技が追加されました。珍しい競技として1908年に公開競技としてアイルランド対ドイツ戦が行われたサイクルポロが予定されていました。

ゴルフも競技種目として予定されていたことが確認されています。


20年後にベルリンオリンピックで実現

1916年に幻に終わったベルリンオリンピックは、20年後の1936年に第11回オリンピック競技会として実現されました。競技場もドイツスタジアムの場所にさらに巨大な現在のオリンピック競技場を建設しています。

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