このため一部地域では、一つの通り全部が自転車専用に指定され、住民以外の自動車は乗り入れが規制されているケースがあります。
この自転車専用道路に反対する自動車ドライバーがベルリン市を相手に訴訟を起こしました。この判決が先日ありましたので、ご紹介します。
裁判の概要
問題の自転車専用に指定された道は、ベルリン西部のシャルロッテンブルク=ビルマースドルフ区にあるプリンツレゲント(摂政皇太子)通りで、プラハ広場とベックス通りの間の区間です。2010年の9月から、住民以外の自動車の通行は禁止されていました。しかしこの道は渋滞するブンデス・アレーを迂回するため、土地勘のある自動車ドライバーが抜け道として利用していたことから、自転車利用者とのトラブルが絶えませんでした。また警官の中には、自動車ではなく、自転車利用者が悪いと言い出す人物もいたそうです。
原告の主張
そういった事もあって自動車ドライバーの一人が、この道を自転車専用道路に指定したのは違法であるとして、ベルリン市を訴えました。原告の自動車ドライバーは、この道路は区が自転車専用道路を増やすために勝手に指定したものであり、自転車が交通の過半数を占めるものではない、と主張しました。2018年5月に行われた交通量調査の結果は、(天気のいい時期なので)自転車利用者数が過大評価されている、とも述べています。
判決要旨
これに対してベルリン行政裁判所は、自転車の通行の安全を確保するため、自転車専用道路の指定はやむを得ないものであるとの判断を下し、原告の訴えを退けました。問題の交通量調査に関して裁判官は、5月に限らずこの道路は自転車利用者が圧倒的に自動車バイクを上回っているとの見解を示しました。
さらに自転車利用者の安全確保には、一般的な自動車ドライバーの注意義務や追い越し時の車間距離の遵守では十分ではないとしました。この道は一部で幅が4.6メートルしか無いにもかかわらず、両方向の通行が可能であり、自転車と自動車が同時に走るには危険過ぎる、と結論づけました。
東京住民の感覚では、道幅4.6メートルあれば何でも通れそうで、原告のドライバーの気持ちもなんとなく理解できます。
20年前のベルリンは自転車に優しい街ではなかった
私がベルリンに来た頃の市長は、冷戦時代から西ベルリン市政に関わってきたエーバーハルト・ディープゲン氏で、保守派のキリスト教民主同盟CDU市政は、自動車にはとても甘かったように思います。私はベルリンの西側の事情しか知りませんが、あの頃のベルリンは、他のドイツの都市と違って、自動車で街の中心部でもどんどん乗り入れることができたほど、交通の規制のゆるいところでした。ブランデンブルク門も車で通り抜けできました。路上駐車もタダか、格安の駐車料金でできたものです。いつも遅れたりする公共交通機関よりも、自家用車の方が、少ない追加コストで遥かに便利だったと記憶しています。
その反面、自転車利用者にとっては恐ろしい道路で、車に当て逃げされた友人も複数いました。
この後、社民党SPDと緑の党の連立市政になって、交通規制が進み、自転車専用レーンの整備も進められました。街の中心部も交通規制が進み、駐車料金も大幅に値上げされた一方、自転車や公共交通機関の利用が優遇されるようになったのです。
最近、ベルリンは自転車専用レーンが道路脇に設けられており、「自転車を乗るには最高の場所です」という声も聞くようになりました。これは10年以上に渡るベルリンの革新市政の一つの業績と言えるべきものでありましょう。