映画『ファーザー』(原題:The Father)のネタバレ解説!認知症の混乱に観客を引き込む緻密な伏線、アンソニー・ホプキンス主演

2021年3月31日水曜日

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映画『ファーザー』、写真は左からオリヴィア・コールマン、アンソニー・ホプキンス(C)NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020

『羊たちの沈黙』で精神病質のハンニバル・レクター博士を演じたアンソニー・ホプキンスが認知症老人の役に挑んだ映画『ファーザー』。

一度観ただけでこの映画の構造を理解できる人は、とても観察力の鋭い人です。多くの人が初見は「わけがわからない」という印象を持つのではないでしょうか。

そこでこの記事では、認知症の老人の精神的混乱に観客を引き込むため緻密に計算されて張り巡らされた本作の伏線を、徹底的に掘り起こしてみます。

この記事は後半から映画『ファーザー』の結末などのネタバレを含みます。未見の方はご注意ください!

映画『ファーザー』の作品情報

『ファーザー』は2021年に公開されたイギリス・フランス製作のヒューマンドラマ映画。アンソニー・ホプキンス演じる80歳代の男性と娘が、彼の進行する認知症に直面する物語です。

映画『ファーザー』の概要

ロンドンの立派なマンションに1人で暮らすアンソニー(アンソニー・ホプキンス)。80歳を超えて認知症の軽い症状が現れたアンソニーに娘のアン(オリヴィア・コールマン)はホームヘルパーをつけようとします。しかし1人で暮らせると言い張るアンソニーは、次々とヘルパーに難癖をつけて追い出す始末。

そんなアンソニーの認知症は、ときどき周りの人が誰だかわからなくなるほど進行してくるのでした……。

認知症で混乱する老人にアンソニー・ホプキンス、その対処に苦慮する娘にオリヴィア・コールマンと2人のオスカー受賞者を起用した豪華な配役の本作。

原作はフランスの中堅小説家、劇作家フローリアン・ゼレールの戯曲で、ロンドンやニューヨークの公演は絶賛されました。映画化にあたり、原作者であるゼレールが脚本も共同執筆して監督を務めています。

  • 原題:The Father
  • 監督:フローリアン・ゼレール
  • キャスト:アンソニー・ホプキンス、オリヴィア・コールマン、ルーファス・シーウェル
  • 公開年:2021年
  • 上映時間:1時間37分
  • 製作国:イギリス、フランス

映画『ファーザー』予告編

映画『ファーザー』のあらすじ【ネタバレなし】

舞台はロンドンの立派なマンションの一室。80歳代のアンソニーがヘッドホンでパーセルのオペラのアリアに耳を傾けていると、娘のアンが駆け込んできます。

彼女は、アンソニーの世話をしていたホームヘルパーのアンジェラが、アンソニーに暴言を浴びせられて辞めてしまったと言うのです。しかも彼がホームヘルパーを追い出したのはこれで3人目!

アンソニーは、ホームヘルパーが腕時計を盗んだと疑っていますが、自分で風呂場に隠したのを忘れていたことをアンに指摘されます。

時計を腕に戻ってきて何事もなかったかのように再び音楽を聴こうとするアンソニーに、「話したいことがあるの」というアン。

彼女は最近出会った男性とパリに移住したいので、アンソニーがホームヘルパーを受け入れないならば、他の手段を考えなければならないと言うのです。

しかし、自分の面倒は自分で見られると主張するアンソニーに、彼を施設に入れたいとはまだどうしてもアンは切り出せないのでした。

認知症の症状が出始めたアンソニーをどうするか、アンが下す決断は?この後のあらすじは、この記事の後半でネタバレも含めて詳しく解説します。

映画『ファーザー』のスタッフ

監督・脚本・原作:フローリアン・ゼレール

本作のもとになったのは、フランスの作家・フローリアン・ゼレールの同名の戯曲です。映画化にあたっては原作者のゼレールが脚本を執筆し、メガホンも取りました。

1976年生まれ、フランス・パリ出身のゼレールは、22歳のときに書いた小説『Neiges artificielles(原題:人工雪)』で作家デビュー。2004年には小説『La Fascination du Pire(原題:邪悪の魅惑)』で、フランス文学の権威ある「アンテラリエ賞」を受賞しています。

ゼレールは劇作家としても非常に高く評価されており、イギリス・ガーディアン紙が「現代で最もエキサイティングな劇作家」と呼ぶほどです。

本作の原作である戯曲『Le Père(原題:ザ・ファーザー)』は2012年にフランスで発表された後、2014年にロンドン、2016年にニューヨークで公演されました。2014年にフランス演劇関連では最高の賞とされるモリエール賞の最優秀脚本賞を受賞したこの作品を、イギリス・タイムズのマガジンは2010年代に最も称賛された戯曲と評しています。

脚本:フローリアン・ゼレール、クリストファー・ハンプトン

ゼレールの戯曲の映画化にあたって、イギリスの劇作家、脚本家、映画監督であるクリストファー・ハンプトンが脚本の共同執筆にあたりました。

1946年、ポルトガル領のアゾレス諸島でイギリス人の両親のもとに生まれたハンプトンは、父親の仕事の都合で13歳までイエメンやエジプトなど外国で暮らしています。

オックスフォード大学でドイツ語とフランス語を学んだハンプトンは、大学在学中から演劇に関わり、劇作家として活動し始めました。1995年には『サンセット大通り』でトニー賞を受賞しています。

フランス語を得意とするハンプトンの才能がこれまで最大限に発揮された作品が、18世紀フランスの小説を映画にした『危険な関係』(1988年)です。この映画の脚本でハンプトンはアカデミー脚色賞を受賞しています。

編集:ヨルゴス・ランプリノス

認知症の老人が直面する混乱や不安を、スクリーンを通じて効果的に観客に伝えるには、編集が重要なカギであることは言うまでもありません。

そんな本作の編集を担当したヨルゴス・ランプリノスは、フランスを中心に活動するギリシア出身の映画編集者です。2000年代初頭から映画製作の現場で編集補助の仕事などをはじめたランプリノスは、2007年に映画編集者として独立しました。

2013年からは、フランスの映画監督・ザビエ・ルグランの作品の編集を手掛けてきました。2017年に公開された映画『ジュリアン(原題:Jusqu’à la garde)』で、フランス映画の権威あるセザール賞編集賞を受賞しています。

音楽:ルドヴィコ・エイナウディ

本作の音楽を担当したルドヴィコ・エイナウディは1955年生まれイタリア出身の作曲家、ピアニストです。クラシックを基調にポップ、ロック、フォークや世界の音楽を取り入れた瞑想的、内面的で端正な作風で、ヨーロッパを中心にコンサートや映画音楽で活躍しています。


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父方の祖父は1948年から1955年までのイタリア大統領、母方の祖父はピアニスト、オペラ指揮者、作曲家という恵まれた家系に生まれたエイナウディ。彼は10代のころにフォークギターで作曲をはじめ、ミラノのヴェルディ音楽院に進学、1982年に作曲のディプロマを取得しました。

同年、作曲家・ルチアーノ・ベリオの管弦楽法の講座に参加したエイナウディは、タングルウッド音楽祭に参加する奨学金を獲得。アフリカの声楽やビートルズのアレンジもしていたベリオからエイナウディは、「音楽に対する非常にオープンな考え方」を学んだそうです。

その後エイナウディは1990年代半ばから主にイタリアで映画音楽も手掛けるようになり、数々の賞を受賞しました。特に2002年に放送されたTVシリーズ『ドクトル・ジバゴ』の音楽は、モーリス・ジャールの名曲に比肩すると高く評価されています。

2010年、『ブラック・スワン』予告編の音楽を担当。2011年にはクリント・イーストウッド監督の伝記映画『J・エドガー』や『最強のふたり』の音楽を書いています。

本作の音楽は、エイナウディ自身が演奏するピアノにビオラなど弦楽器が加わる室内楽的なスコア。さらに冒頭に出てくるパーセルのオペラのアリアなども作中で効果的に活用されています。

映画『ファーザー』のキャスト

ここからは映画『ファーザー』のメイン・キャストをご紹介します。見出しは「役の名前:俳優の名前」の順番です。

アンソニー:アンソニー・ホプキンス

本作の主人公であるアンソニーは、80代前半の元技術者の男性です。生年月日は作中で1937年12月31日であることが、彼の口から語られます。

この生年月日は、実はこの役を演じるアンソニー・ホプキンスの誕生日なのです!ホプキンスは、ある年の日付が何曜日だったかを即座に言い当てる特技を持っています。映画の中で認知症のアンソニーも自分の誕生日が金曜日であったと言って娘たちを驚かせていました。こういったことで本作の脚本がホプキンスにピッタリと合うように改変されていることがわかります。

アンソニー・ホプキンスはサイコサスペンス映画『羊たちの沈黙』(1991年)のハンニバル・レクター博士役で有名です。第2次世界大戦後から舞台俳優として活動していたホプキンスは、1960年代終わりから映画俳優として活躍してきました。

2010年代には「マイティ・ソー」シリーズのオーディンといった役も引き受けています。

アン:オリヴィア・コールマン

アンは仕事をしながらアンソニーを自分の家に引き取って彼の面倒をみようとする娘です。

アンを演じるオリヴィア・コールマンは1974年生まれイギリス出身の女優です。

TVドラマシリーズ『ピープ・ショー ボクたち妄想族』のソフィー・チャップマン役を2003年から10年以上努めたコールマン。映画女優としては『思秋期』(2011年)や『私が愛した大統領』(2012年)で注目されるようになりました。

2018年に主演を務めた『女王陛下のお気に入り』で、ベネチア国際映画祭女優賞やアカデミー主演女優賞を受賞しています。

男(ポール/ビル):マーク・ゲイティス

アンソニーのマンションの居間で、ソファーに座っていてここは自分の家だと言ってアンソニーを驚かす謎の男です。映画の結末では別の人物として登場します。認知症で人物の見分けがつかなくなった老人の混乱を観客が実感するために、わざと別の名前で登場する仕掛けです。

この謎の男を演じるマーク・ゲイティスは、1966年生まれイギリス出身の俳優、脚本家、小説家です。主にイギリスのテレビや舞台で活躍しています。

ゲイティスはスケッチ・コメディ集団「ザ・リーグ・オブ・ジェントルマン」の主要メンバーの1人として最も有名です。1990年代後半から舞台、ラジオ、テレビに出演するとともに脚本を執筆してきました。

また子どもの頃から関心のあったSF『ドクター・フー』の小説を書いたり、本編にも何度か出演しています。

女(アン/ローラ/キャサリン):オリヴィア・ウィリアムズ

映画の序盤でアンソニーのマンションにやってきて、自分は娘のアンだと言ってアンソニーを困惑させる謎の女。映画の途中と結末でこれまた別人として登場します。

この謎の女を演じるオリヴィア・ウィリアムズは1968年生まれイギリス出身の女優です。ブリストル・オールド・ヴィック劇場演劇学校とローヤル・シェークスピア・カンパニーで演劇を学んだ後、1996年にテレビ映画『エンマ』で注目を集めました。

1997年、ケビン・コスナーの『ポストマン』で映画デビュー。続いてウェス・アンダーソン監督の『天才マックスの世界』(1998年)やブルース・ウィリス主演の『シックス・センス』(1999年)で大役を務めました。

本作でアン役を務めるコールマンとは『私が愛した大統領』でも共演しています。

ローラ:イモージェン・プーツ

ローラは、アンソニーのために新しく雇われる明るく親切なホームヘルパー。

ローラを演じるイモージェン・プーツは1989年生まれイギリス出身の女優、モデルです。

プーツはもともと獣医さんになりたかったそうですが、実習中に動物の手術を見て気絶したため諦めたとか。17歳のときにホラー映画『28週後…』(2008年)のタミー・ハリス役に抜擢されて映画女優としての可能性が開かれました。

2011年には『フライトナイト/恐怖の夜』のエイミー・ペーターソン役で主演。それ以後、『25年目の弦楽四重奏』(2012年)、『JIMI:栄光への軌跡』(2013年)、『ニード・フォー・スピード』(2014年)といった話題作に立て続けに出演しました。

2015年春にはミュウミュウの春キャンペーンモデルも務めています。

ポール:ルーファス・シーウェル

アンの夫であるポールはアンソニーと相性が悪く、彼を施設に入れるように強く求めています。

ポールの役を務めたルーファス・シーウェルは1967年生まれイギリス出身の俳優です。イギリスを中心にテレビや舞台でも活躍しています。ちなみにファミリーネームの発音は「スーエル」が近いかも。

ロンドンのセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ在学中にジュディー・デンチが演出した舞台に出演したことが縁でエージェントとの契約をゲットしたシーウェル。1993年にマイケル・ウィナー(『狼よさらば』)監督の映画『Dirty Weekend』のティム役でブレイクします。その後SF映画『ダーク・シティ』(1998年)で主役に抜擢されました。

ナンシー・マイヤー監督のロモンチックコメディ『ホリデイ』(2006年)などにも出演するシーウェルですが、『レジェンド・オブ・ゾロ』(2005)のアルマン伯爵役など悪役で定評があります。

映画『ファーザー』に張り巡らされた伏線をネタバレ解説

ここからは、映画『ファーザー』の結末などのネタバレを含みます。未見の方はご注意ください!

本作の独創的な点は、認知症の主人公が、自分の周りで起きていることがわからなくなる混乱を観客に感じさせることにあります。

このため、普通の映画と違って物語の時間や場所や人物の区別を、観客が理解し難いような演出になっているのです。さらに注意深く鑑賞していると、認知症の主人公の視点と、彼の周りにいる認知症でない人たちの視点が入れ替わったりします。

時間は外の光線や会話を手がかりに、午後から夕方、夕食、夜、翌日の朝というふうに1日に収まる古典的な戯曲の作法を取り入れて推移する印象を受けます。しかしながら、結末の会話から、実際の時間は序盤と終盤の間で2~3カ月は経過していることがわかるのです。

まずは時系列をストレートに整理!

この映画は観客の時間の感覚を狂わせるために、物語の時間の進行を把握するためのヒントが劇中にほとんどなく、さらに時間の順番とは異なる編集をしています。

そこで最初に、セリフなどから推測してプロットを時系列順に整理してみましょう。

この映画で描かれるのは、アンソニーに認知症の症状が現れて1人で生活できないようになり、施設で暮らすようになる2~3カ月間の出来事です。

その前に、アンソニーはよく覚えていないのですが、彼の娘の1人であるルーシーが重大な事故にあっています。もしかしたらこの事故が、アンソニーの認知症の引き金になったのかもしれません。

もう1人の娘のアンはアンソニーにホームヘルパーをつけようとしますが、1人で暮らせると思っている彼は、次々と追い出してしまいます。

そこでアンは、アンソニーを自分の家に引き取って面倒を見ようとします。しかしまだ昔の自分の家にいると思いこんでいるアンソニーは、アンの夫・ポールと衝突が絶えません。

その上、アンソニーの認知症は急速に進行して、ときどきアンも含めて周りの人の見分けがつかなくなり、朝と夕方も間違えるように。万策尽きたアンはアンソニーを施設に入れる決断を下します。

それ以来ロンドンのマンションを引き払ってパリに引っ越したアンは、ときどき週末にはアンソニーを施設に訪れているようです。

この基本的な筋を念頭に、映画『ファーザー』の残りのあらすじと伏線を結末までネタバレ解説してみましょう。

お茶を入れていると、見知らぬ男が居間にいた!

前のネタバレなしのあらすじでは、アンがパリに移住したいので認知症のアンソニーを施設に入れるかどうか彼に相談できないところまで書きました。

そんなアンが帰って行くのを寝室の窓から見守るアンソニー。ここから観客を混乱させて認知症の老人の心理に感情移入させる本作のトリックがはじまります。

伏線:室内の装飾、家具、絵画

この映画は、アンソニーが寝室に入るごとに物語が一段落する構成になっているようです。さらにマンションの室内が何度か映し出されますが、物語が進行するに従って、調度品などが少しずつ変化していくことに注意してください。

これはコンテや編集の間違いではなく、自分がどこにいるのかわからなくなる認知症の老人の混乱を観客に感じさせるための演出だと思われます。さらにマンションのなかのものが次第になくなり、最後は養護施設に変わることで、アンがパリに引っ越してアンソニーが施設に入れられたことを暗示しているのです。

伏線:アンや彼女の夫が後で登場する別人になっている

さて、アンソニーがお茶を入れていると居間に人の気配がしました。見るとそこには知らない男が座っています。

生え際の後退したこの男(マーク・ゲイティス)は、自分はアンの夫・「ポール」だと名乗ります。彼はアンとは10年ほど前から結婚しており、アンはパリに移住する予定などないと言うのです。しかもこのマンションはアンソニーの家ではなく、ポールとアンの家だと言うではありませんか!

アンソニーが困惑していると、「ポール」が携帯電話で呼び出した「アン」が鶏肉を持って買い物から帰ってきて、「ポール」に鶏肉を渡します。しかしこの赤いブラウスを着た女性(オリヴィア・ウィリアムズ)はアンソニーの見知らぬ人物でした。

「アン」は、自分は5年以上前にジェームズと離婚してからはずっと1人だと言います。アンソニーが、今「アン」から鶏肉を受け取って台所に行った男は誰だと尋ねると、ここには2人以外は誰もおらず鶏肉もないという答え。

ますます混乱したアンソニーが寝室に籠もっていると「アン」が入ってきて彼を励まし、晩の分の薬を飲みましょうと言うのでした。

この2人の人物の正体は、結末でタネ明かしされます。

伏線:鶏肉の夕食

さらにここで出てくる「鶏肉」も本作の重要な伏線になりますので忘れないでください。

新しいホームヘルパーが気に入ったアンソニー

寝室のシーンのあと、ふたたびマンションのなかが映し出されます。居間のアップライトピアノがなくなるなど、前とは少し置いてあるものが違う点に注意してください。廊下の壁や家具のデザインも少しモダンなものに変化しています。

舞台は何の説明もなくアンのマンションに変わっているようです。

伏線:アンの着ているブラウス

アンソニーが寝室でパズルのようなものを解いていると、本来のアン(コールマン)が買い物から帰ってきます。アンが着ているブラウスは前と同じ青ですが、襟の形が前回とは違うことに注意してください。

この違いは前回、アンソニーのマンションに来たときからはある程度時間が経っていることを暗示しています。アンの着ているブラウスの違いは、本作で実際の時間の進行を示唆するカギになっているようです。

伏線:金髪のルーシー

アンは携帯電話で、アンソニーのために新しいホームヘルパーを頼む話をしています。やがて面接にやってきたホームヘルパー・ローラ(イモージェン・プーツ)。

彼女をアンソニーに紹介してみると、彼はとても気に入ったようで握手したまましばらく手を離しません。アンソニーはローラのことを、最近連絡をまったくよこさなくなったもうひとりの娘・ルーシーに似ていると言うのです。

この伏線は、重大な事故にあったルーシーがローラと同じ金髪だったことが映画の中で示唆される形で回収されていきます。

ウィスキーで乾杯してすっかり上機嫌のアンソニーは、エンジニアだったにもかかわらず、自分はタップダンサーだったと自己紹介するほどのはしゃぎ振り。しかし突如気分が変わって、自分のマンションをアンにやるつもりはないと宣言して居間から出ていきます。途方にくれるアンにローラは理解を示して翌日から来てくれることになりました。

夕食前、時計がなくなったと言ってポールと喧嘩になるアンソニー

夕方、疲れ果てたアンが寝室でアンソニーの首を絞めることを妄想していると、ポール(ルーファス・シーウェル)が帰ってきます。「うまくいった?」と尋ねるポールに、アンソニーが新しいヘルパーを気に入ったようだと伝えるアンですが、何か気がかりな様子。

「どうしたの?」と畳み掛けるポールに、彼女は買い物から帰ってきた彼女が誰だかアンソニーはわからなかったようだ、と答えます。

ここで観客は、以前の赤いブラウスを着た「アン」と名乗る女性(ウィリアムズ)が出てきた場面は、自分の娘が認識できなくなったアンソニーの視点であったことがわかるのです。

台所でポールとアンが上のような話をしているとアンソニーがやってきて、夕食にはお客さんがいるのかと尋ねます。お客さんなんていないわよとアンに言われて戸惑ったアンソニーが居間に行くと、ポールがソファに座っています。

ポールにアンは、今日はローラが来て、それから医者に行ったと伝えます。医者のクリニックを訪問するシーンを観客はまだ見ていないのでおかしいなと思うのですが、これは過去の出来事を正しい順番で思い出せない症状を観客に感じさせる伏線のようです。

ポールの腕時計を見て、アンソニーは自分の腕時計が盗まれたと言い出します。アンソニーの腕時計は、前と同じく寝室の隣のバスルームの隠し場所にありました。それを知らずにポールの腕時計について質問を続けるアンソニー。

伏線:「Little Daddy」という呼びかけ

それを遮ってポールはアンの話をはじめます。アンソニーは、アンよりも妹のルーシーと仲がよかったようで、ルーシーは彼のことをずっと「Little Daddy」と呼んでいました。

どうやらこのLittle Daddyという呼びかけは、アンやルーシーがアンソニーを親しみを込めて呼ぶのに使っていた家族の秘密のようです。

伏線「いつまでうざったくここに居続けるつもりか」というセリフ

その話の途中で、「正直に教えてもらいたいことがある」といきなり言い出すポール。彼は「いつまでうざったくここに居続けるつもりか」とアンソニーをなじるのでした。

このセリフは後でもう一回まったく同じ形で使われ、観客の時間の感覚を混乱させて強烈な印象を残します。

クリニック訪問のフラッシュバックを経て夕食のシーンに逆戻り

このセリフで、場面はアンとアンソニーが医者のクリニックを訪問したときにフラッシュバック。クリニックが入っているビルの階段、踊り場が冒頭のアンソニーのマンションとそっくり同じ、部屋の配置も似ていることに注目してください。アンソニーと同じく、観客もここは一体どこなのだろうという疑問を懐きます。

クリニックから帰ってきたアンは、寝室でアンソニーの服を大切そうに整理しています。ベッドのサイドテーブルには、アンソニーが2人の女性と写っている写真が。黒髪の女性がアンで、金髪の女性が妹のルーシーなのでしょうか。

場面が変わってアンがスーパーで鶏肉を買っていると、携帯電話がかかってきます。アンがマンションに戻ってみると、アンソニーはセーターを自分で着られなくなって困っていました。セーターを着せてくれたアンに彼は「いろいろとありがとう」と少し他人行儀になって感謝します。このセリフもさまざまな解釈が可能な、意味深な言葉です。

このシーンは、前に出てきた赤い服の「アン」のシーンに対応する、混乱するアンソニーをアンやポールの視点から見た場面と思われます。

伏線:「アンソニーを施設に入れよう」というセリフ

やがて場面は夕食の時間に進みます。アンソニーがダイニングに行くと、ポールがアンに「彼を施設に入れよう」といって口論しています。アンソニーがダイニングに入ってきたのに気づいた2人は話をやめて、食事を始めることに。

しかし食事の途中でポールは再びアンソニーを非難します。ポールとアンは、アンソニーがホームヘルパーのアンジェラと喧嘩になったので、イタリアでの休暇をキャンセルして彼を引き取らなくてはならなかった、というのです。

いたたまれなくなったアンソニーが、席をはずしたところで、アンとポールはアンソニーをめぐって再び口論に。ポールが「彼を施設に入れよう」と前と同じセリフを言いだしたところにアンソニーが戻ってきます。前とほとんど同じシーンを見せられて観客も困惑するのですが、面食らったアンソニーは寝室に戻っていくのでした。

「施設に入れよう」にはじまる対話が繰り返されることで、時間がループになっているような錯覚が生じています。同じセリフを繰り返し使うことで、時間的に離れて映し出されたシーンが観客の頭のなかでつながるこのテクニックは、後でもっと劇的な形で使用されるのです。

朝か夕方か区別がつかなくなったアンソニー

陽の差し込むオフィスで、クリニックの医師に電話をかけるアン。ここで彼女は黄色のブラウスを着ています。マンションのなかは、壁にかけてあった絵画が外され、絨毯がまかれて椅子が積み重ねられるなど、引っ越しの準備が進められているよう。

伏線:「服に着替えて庭園で散歩」というセリフ

アンソニーが起きて居間にくると、前に来たホームヘルパー・ローラが薬をのませにやってきます。ローラはアンソニーに、「パジャマから服に着替えて庭園に散歩に行こう」と促します。ラストシーンの対話とよく似たこのやり取りも重要な伏線の1つです。

伏線回収:ルーシーの事故

ローラが娘のルーシーに驚くほど似ていると言うアンソニーに、彼女はルーシーの事故についてアンから聞いたことを明かします。しかしアンソニーはこのことを覚えていないようです。

ルーシーのことは最後まで謎に包まれているのですが、これも観客がアンソニーの混乱した心理を共有するためのトリックと言えるでしょう。

伏線回収「いつまでうざったくここに居続けるつもりか」、「Little Daddy」というセリフ

さてローラとアンソニーが居間で話していると、生え際の後退した「ポール」(ゲイティス)がやってきて、ローラは席を外します。

「正直に教えてもらいたいことがある」と切り出したポールは、「いつまでうざったくここに居続けるつもりか」とアンソニーの頬を叩き始めます。

アンソニーの悲鳴を聞いて台所から駆けつけるアン。ここで「ポール」(ゲイティス)はもとのポール(シーウェル)に変わっています。「時計なら私が見つけたわよ」と言ってアンはアンソニーに時計を渡します。

「今何時だ」と尋ねるアンソニーに、「8時、食事の時間よ」というアンの答え。朝だと思っていたので驚くアンソニーを、アンは「Little Daddy」と優しく呼んで慰めるのでした。

同じセリフを使うことで、この場面がクリニック訪問にフラッシュバックする直前のポールとの対話のシーンに繋がっていることが明らかになるのです。

伏線:ルーシーの事故とアンたちの引っ越し

夜、寝室でポールと無言で視線を交わしたアン。マンションのなかはほとんど空き家のように物がなくなっています。

一方、目を覚ましたアンソニーが寝室から出ていくと、廊下が病院につながっていました!病室の1つに大怪我をした金髪の女性が横たわっており、アンソニーを見て「パパ」とつぶやくのでした。

いつの間にか養護施設に入っていたアンソニー

朝、アンソニーが目を覚まして台所に行くと、白いブラウスを着たアンが朝食の準備をしています。これから新しいホームヘルパーであるローラが来ることになっているとアンソニーに告げるアン。彼は娘のルーシーに似ていたローラのことを思い出したようです。

伏線回収:謎の女(オリヴィア・ウィリアムズ)は施設の看護師だった

しかし、やがてやってきた「ローラ」だと名乗る黒髪のヘルパー(オリヴィア・ウィリアムズ)は、前に来たローラとは別人でした!

混乱したアンソニーが寝室でベッドの縁に座り込んでいると、アンがさっきのヘルパー(ウィリアムズ)と一緒に入ってきます。「窓からは庭園が見えますよ」と自慢するヘルパーに、「ホテルみたいですね」と喜ぶアン。彼女はアンソニーに、自分はパリに引っ越すので、アンソニーはここにいたほうが良く面倒を見てもらえると涙ながらに説得するのでした。

アンソニーが入れられた施設の廊下のレイアウトは、彼のマンションと酷似していますが、壁の色や家具のデザインは無機的なものになっています。

寝室で目を覚ましたアンソニーがドアを開けると、そこはやはり老人施設のなかでした。やがて、キャサリンと名乗る看護師(オリヴィア・ウィリアムズ!)が彼の世話をするため部屋に入ってきます。

伏線回収:謎の男(マーク・ゲイティス)も施設のスタッフだった

アンはどこにいる、と尋ねるアンソニーに、看護師は「もう何カ月も前からパリに住んでいますよ」と答えます。2人がアンのことについて話していると、別のスタッフが部屋を訪れます。この生え際の後退した男(マーク・ゲイティス!)はビルという名前でした。

施設のスタッフである彼らが、これまでアンソニーのマンションに登場したいくつかのシーンの意味。それは施設に入れられてもまだ自分の家にいると思ったり、施設のスタッフを家族と混同したりする認知症の心理を観客に感じさせるトリックだったのです。

伏線回収:「服に着替えて庭園を散歩しましょうね」で迎える結末

すっかり混乱したアンソニーは母親を思い出して、「家へ帰りたい」と泣き出します。そんなアンソニーをキャサリンは抱き寄せて、「パジャマから服に着替えて庭園を散歩しましょうね」と優しく言うのでした。

映画『ファーザー』の感想評価

この記事ではアンソニー・ホプキンス主演の映画『ファーザー』の作品情報、あらすじ、ネタバレなどを、特に緻密に計算されて張り巡らされた伏線に焦点を置いてわかりやすく、詳しく解説しました。

結論として本作は、認知症老人の混乱と不安を観客に実感させる斬新なストーリー展開を最大の特長とする作品として高く評価できる、という感想です。

原作はイギリスやアメリカでも好評だった戯曲で、本作も舞台のようにほとんど同じ配置の室内で物語が展開されます。一見混乱しているような印象を受ける時系列は、全編を一日の時間の進行のなかに収めるという古典的な戯曲の作法を踏襲したものです。

一方、映画化の監督・脚本を務めたゼレールは、共同脚本のクリストファー・ハンプトンとともに、舞台では実現できない映画ならではの効果も取り入れています。フラッシュバックを使って時間をずらす演出などはその典型的なものです。

映像の連続性をあえて壊すことで、認知症の老人の混乱と不安を観客に感じさせるヨルゴス・ランプリノスの編集は、複雑な脚本に隠された一貫性を維持しています。

主演のアンソニー・ホプキンスと並んで舞台俳優としての経験も豊富な脇役陣も、戯曲が原作でセリフ回しが重要な本作にピッタリです。

クラシック音楽を活用したエイナウディの音楽は、目立たずストーリー展開をしっかり支えています。

監督・脚本・原作をフランス人、キャストはイギリス人、編集はフランスで活躍するギリシャ人、音楽はイタリア人が務めた映画『ファーザー』。アメリカ映画とは異なる、イギリスやヨーロッパの映画の古典的な芸術に裏打ちされた奥深さを感じさせる作品です。

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